蝶が飛び、桜は花を開き、若葉をほんの少し覗かせる。
暖かいやさしい風の音をそこに付け加えれば、春のにおいが醸し出される。
春になると、日本の文化では「出会い」と「別れ」が訪れる。
そして、新しいフィールドでまた次の人生が始まっていくかのように
考える。
はたして、そうだろうか?
連綿と続く時間の中、年齢と年功という概念が無い中で、
同じフィールドにいるのであれば、何も新しいことではない。
ただ時が連綿と続いていくだけである。
昨夜、この1年間を振りかえる会があった。
その中で、とあるひとが、
「3年目になったら楽になる。なぜなら、スキルがあがり、下が入ってきて仕事をふれるから。」といっていた。
その考え事態は、悪いことではないと思う。
また、それが今の周囲の現状では当たり前と化している。
だれもそこに対して疑問を持っていない。
ただ、俺は思う。
人に振るのは、仕事のスキルが上がっているのではない。
ただ任せているだけである。
仕事をこなせる量があがったわけでもない。
想像力と創造力があがり、ビジネスを作り出せるようになったわけでもない。
ただ円滑に楽をして、業務をこなせるようになっただけのこと。
ただ年を重ねただけのことである!!
それは、スキルアップとは言わない。
この一年間、無駄に頭を使わされてきた時が非常に多かった。
ただ、それは「今の自分」にはプラスに働いている。
なぜなら、その非効率なことを俺は後輩に教えなくてすむからだ。
頭を使うべきところで使い、頭を使わなくて良いところでは使わない。
そういう風に教えていきたいし、成長をさせたい。
PDCAのサイクルをうまくまわせるようにさせたい。
また、「俺が放置された時間」は、俺をタフにした。
ただ、これからは心にしまいこんだ「するどさ」を少しずつ戻していく。
正論は時に刃となり、相手に襲い掛かる。
使いかたが重要だ。
ただ、これ以上相手のペースにのり、相手の気持ちを考え、
言うことを抑えていたのでは、分かっていることをやれなくなるに過ぎない。
おおいに喧嘩してもいいのではないかと思う。
生意気でかまわないと思う。
夢を持ち、夢をかたり、夢のために生きる俺は、
まさしく夢の奴隷である。
ただ、それを見失い、努力を怠れば俺の目は死んだ魚の目になりかねない。
そのためには、周りの環境に流されないように自分を保ち続けることが大事である。
自分で仕事を考えて、、まねるしかできないはずの状態を作り出されたシーン。
ただ、その中で自分なりに付加価値をつけようとしたり、変化をさせようとしたりして
壁にぶつかりまくっていった。
まだできていない部分が多い。
ただ俺は、教わるよりも自分で学ぶしかない。
神様が用意してくれた壁は高い。
だが、努力は決して裏切らない。
また、絶対に努力していない人間なんぞには負けない。
分からなかったときは、終わり
次のときが始まる。
さあ宴の時が、桜とともに始まる。
フィールドをかけまわろう。
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